私がSLE(全身性エリテマトーデス)と診断されたのは、19歳の頃でした。
しかし、最初の異変があったのは実は中学2年生。
そこからSLEと診断されるまで、約5年かかっています。
手の色が白や紫に変わったり。
顔に消えないあざのようなものができたり。
原因不明の高熱が出たり。
今なら「SLEの症状だったんだな」と思えます。
当時はもちろんそんなことを知るはずもありません。
ネットもそんなに普及してない時代でしたからね。
実家には「家庭の医学」がありましたが開くこともなく。
この記事では、そんな私が最初の異変を感じてから、SLEと診断されて治療を始めるまでの経緯を振り返ります。
このブログでは、私自身が経験した症状や治療について書いています。同じ病気でも、症状や治療方法は人それぞれです。あくまでひとつの体験談としてお読みいただき、治療やお薬については主治医・専門医にご相談ください。
最初の異変は、中学生のときに出た手の症状
SLEが実際にいつ発症したのか、正確な時期はわかりません。
ただ、「これが最初の兆候だったのかな」と思う症状が出たのは、中学2年生の頃でした。
冬になると左手が白から紫色に変わる
当時の私はバドミントン部に所属。
毎日のように練習していました。
異変に気づいたのは、その年の冬。
ラケットを持っていない左手が冷えると、紫色へと変わるようになったんです。
初めて見たときはさすがにびっくり。
チームメイトや先生にも「手、大丈夫?」と心配されました。
でも、痛いわけでもかゆいわけでもありません。
温めれば、いつの間にか元の色に戻ります。
「私ってものすごい冷え性なんだ」と思っていた
もともと手足が冷えやすく、お風呂から出たらすぐに靴下を履きたいタイプだった私。
そこでたどり着いた答え。
「私って、ものすごい冷え性なんだ!」
冷え性ってひどくなると、こんなに手の色が変わるんだなぁ。
くらいに思っていたんですよね。もちろん何の根拠もないのに。
基本、温めれば元に戻るので、「冷えないように気をつけよう」で終了。
病院へ行こうとは、まったく考えていませんでした。
その後は左手だけでなく右手にも同じ症状が。
冬だけだったものが春先にも、さらに夏の冷房が効いた場所でも出るようになっていきます。
それでも私の対処法は変わらず「冷えたら温めれば大丈夫」。
手袋をしたり、ホッカイロを当てたり。
特に疑問を持つことなく過ごしていました。
顔に消えない「あざ」のようなものができた
手の色が変わるのは相変わらずで中学3年生の夏。
今度は顔に異変が現れました。
痛くもかゆくもないのに、1か月経っても消えない
ある朝、顔を洗って鏡を二度見。
右の小鼻のあたりに100円玉くらいの丸い「あざ」のようなものができていました。
どこかにぶつけた?
汗でかぶれた?
寝ている間に引っかいた?
いろいろ考えてみたものの思い当たることはなく。
さらに痛くもかゆくもありません。
当時はニキビもできやすいお年頃。
「まあ、そのうち治るでしょ」と気にせず過ごしていました。
ところが、1週間経っても2週間経っても消えません。
消えるどころか薄くなりもせず。
1か月ほど経つ頃には少し大きくなり、色も紫がかったようになりました。
さすがにこれはおかしい…。
そう思って、近所の皮膚科を受診することにしました。
皮膚科では「アトピー性皮膚炎」と診断された
診察では、1か月ほど前から顔にあざのようなものができて、なかなか消えないことを説明しました。
「以前、皮膚の病気にかかったことはありますか?」
先生から聞かれたこれに「はい」と答えたのが、まず最初の分かれ道だったのかもしれません。
私は、幼稚園から小学校中学年頃までアトピー性皮膚炎がありました。
首や手足の関節部分だけでなく、顔や耳の裏まで赤くなることも。
ただ、小学校高学年になる頃にはほとんど症状が出なくなり、皮膚科への通院も終わっていました。
(顔の痣で受診したのは別の皮膚科です)
そのことを伝えると、先生のから出た診断は「アトピー性皮膚炎の再発ですね」。
「アトピーって、こんなに痛くもかゆくもないものが出るの?」
そう思ったものの、当時の私は中学生。
当然、SLEなんて病気は知りませんし、自分の体がおかしいなんて思いません。
「アトピーは一度落ち着いていても、疲れや体の変化などでまた症状が出ることもある」
先生に説明され、「そういうものなのか」と納得していました。
薬を変えながら、約4年間通い続けた
皮膚科では塗り薬を処方され、しばらく様子を見ることに。
幼少期も、塗り薬でアトピーが改善した経験があったので、「これで治るだろう」と思いました。
ところが、顔のあざのようなものは消えません。
不思議なことに、日によって少し薄くなったり、また濃くなったりします。
ただ大きくはなりません。
そのため、先生もそこまで深刻には思っていなかったのでしょう。
診察の日にあざが薄ければ「この薬を続けてみよう」。
濃ければ「別の薬に変えてみよう」。
そんなやり取りを繰り返しながら、気づけば約4年が経過していました。
高校生になると原因不明の高熱も出るように
顔のあざのようなものが消えないまま、私は高校生になりました。
当時は通っていたのは、校則がかなりゆるい高校。
そのため、顔の症状は基本的にメイクで隠して登校。
また、すっぴんを見せる機会がある友達には「昔からある」と説明。
みんな優しかったので、それ以上あざの話題に深く触れることはなく。
むしろ「このコンシーラー、カバー力あるよ!」なんて教えてくれたり。
そんな楽しい高校時代に、今度は新たな異変が出てくるようになります。
忙しい時期のあとに38℃台の熱が出る
それまでの私は、熱を出すような風邪をあまりひかないタイプ。
ところが高校生になった頃から、ときどき原因のよくわからない高熱を出すようになります。
特に多かったのが、定期テストや文化祭など忙しい時期の後。
風邪らしい症状はないのに突然38℃台の発熱。
しかし、1〜2日ほどすると何事もなかったかのように下がります。
また、ちょいちょい微熱も出すように。
最初のうちは「疲れたんだろうな」と、風邪薬や解熱剤を飲んで寝ていました。
でも、さすがに何度も繰り返すと「これって普通なの?」と思うように。
高校2年生くらいの頃、地元の総合病院を受診しました。
総合病院では「疲れによるもの」と言われた
病院では問診のほか、血液検査と尿検査を受けました。
このときも顔には例のあざのようなものがありました。
しかし、私はメイクでしっかり隠して病院へ。
だって多感な高校生ですからね。
できれば人にすっぴんを見せたくなかったんです。
「ちゃんと先生に見せなさい!」と、当時の自分に言いたいところですが……。
検査は採血と胸のレントゲン、そして問診。
しかし大きな問題を指摘されず、当時言われたのは「疲れが原因ではないか」ということでした。
「ホルモンバランスも変わる時期だし、若いから無理しちゃうんでしょう」
先生のそんな説明を聞いて、私も「やっぱり疲れか」と納得。
その後も高熱が出ることは、たまにありました。
ただ相変わらず寝ていれば下がることが多く。
そのため、熱が出るたびに病院へ検査へ行くこともありませんでした。
顔には治らないあざのようなもの。
ときどき原因不明の高熱。
今振り返れば、体にはいくつものおかしい変化が現れていました。
それでもこの時点では、まだSLEの診断にはつながりませんでした。
SLEの診断につながったのは、母のひと言だった
顔のあざのようなものは消えない、時々高熱が出る。
そのまま気が付けば18歳、私は高校を卒業しました。
高校から続いた症状以外は大きな体調不良もなく。
私はちょっとした夢を追いかけながら、コンビニでアルバイトをするフリーターとして生活していました。
成人式まであと1年ほどになった頃。
母が突然言いました。
「皮膚科、変えてみない?」
ラジオを聞いた母が、別の皮膚科を提案してくれた
それまで母は、私の治療について特に口を出すことはありませんでした。
顔の症状は治っていないものの、ずっと皮膚科に通って薬も塗っている。
そのうち治るんだろうと、私と同じ考えでした。
そんな母が別の病院を勧めてきたきっかけ。
それは、日課で聞いていたラジオだったそうです。
いつもの番組に、皮膚疾患に詳しい医師がゲスト出演。
「なかなか治らない皮膚症状がある場合には、ほかの重篤な病気が隠れていることもある」
こう話していたそうです。
まさに私の状態に当てはまるので、母の耳にこの話題がすっと入ってきたようで。
しかも、その先生が務めている病院は自宅から電車で1時間ほど。
「それなら一度診てもらってみない?」と勧めてくれました。
「成人式までには治してあげたい」
病院を変えたくらいで、そんなに変わるものか?
正直私はそのくらいに思っていました。
何年も皮膚科に通って治らなかったわけですから。
半分あきらめていたところもあったのかもしれません。
でも、母にはひとつ思うところがあったようです。
「成人式までには治してあげたい」
もうすぐ一生に一度の成人式。
せめてその日までに、顔の症状が少しでもよくなれば。
そんな気持ちで、新しい病院を勧めてくれたんです。
母がそこまで考えてくれたならと、私もその皮膚科を受診することを決めました。
新しい皮膚科を受診すると、状況が一気に動き出した
母が見つけてくれた皮膚科を受診したのは、それから間もなくのことでした。
そこで出会ったのは、ハキハキと話す年配の先生。
診察室に入り、顔のあざのようなもの見せて経緯を説明。
すると…
「どうして治らないまま、そんなに長く同じ病院に通っていたの?」
かなり厳しい顔で、強めに言われたのを覚えています。
いや、そんなこと言われても……。
当時の私はちょっとムッとしました。
だってちゃんと皮膚科に行って、診察したもん。
薬も毎日塗ってるもん。
やっぱ変えるんじゃなかったな~。
若干不貞腐れ気味です。
初めて飲み薬が処方された
これまでの皮膚科では塗り薬だけでした。
しかし、新しい先生からは初めて飲み薬を処方されました。
まずは1週間飲んで、もう一度診察を受けることに。
1週間飲んだ時点では、顔の症状にほとんど変化はありません。
なんだよ、やっぱり変わんないじゃん。
しかし、そのままもう1週間服用を続けたところ、少しずつ変化が出てきました。
ずっと紫がかっていた部分が薄くなり、赤みだけが残るような感じになってきたんです。
何年も塗り薬を使って変わらなかったのに、薄くなっている。
私は単純に、「この薬、効くんだ!」とルンルンでした。
「すぐ紹介状を書きます」
先生の反応は、私とはまったく違いました。
顔の状態を確認すると、すごく険しい表情。
「すぐ紹介状を書きます。ここに行ってください」
渡されたのは、大きな病院への紹介状でした。
それまで大きな病気とはほとんど縁がなかった私。
「紹介状を受け取り、大きな病院へ行く」なんて漫画の中のできごとです。
このときに膠原病の可能性について説明されたような記憶もあるのですが…
正直なところ、細かい部分までは覚えていません。
大きな病院で「皮膚生検」を受けることに
紹介状をもらってから1週間後。
指定された大きな病院を受診しました。
立派な建物を目の前にして。
「もしかして私、なんかヤバいのか……?」
ようやく、少しずつ不安になってきました。
初めて受診したリウマチ・膠原病内科
紹介されたのは、リウマチ・膠原病内科でした。
もちろん当時の私は、「膠原病」が何なのかもよくわかっていません。
担当してくれた先生はとても丁寧な方。
最初に手の色が変わったこと。
顔にあざのようなものができたこと。
これまで皮膚科で治療を続けてきたことを丁寧に聞いてくれました。
さらに血液検査や尿検査を受け、紹介元の皮膚科からの手紙なども確認。
そのうえで先生から言われたのが「せいけんをしないと難しいかな……」でした。
せいけん……?
聖剣……?
ゲーム好きの私の頭には、そちらが浮かびました。
もちろん、「せいけん」とは、そんなカッコいいものではありません。
「顔にメスを入れます」
私に言い渡された「せいけん」とは「生検」のこと。
皮膚の一部を採取して詳しく調べる検査です。
つまり、顔にずっと残っているあざのような部分から、皮膚を採ることになります。
恐る恐る確認すると…
「そうですね。顔にメスを入れます」
えぇぇぇぇぇぇぇ!?
「それって手術?」
「麻酔するの?」
「顔切るの!?」
一気にビビり始めました。
しかし、検査をしないことには先へ進みません。
あれよあれよという間に日程も決まり。
顔のあざの部分を一部、採取することになりました。
部分麻酔だったので痛みはありません。
しかし、切られている感覚がなんとも気持ち悪かったことは今でも覚えています。
先生がとても丁寧に処置してくださったこともあり、傷跡はほとんど残りませんでした。
今でも「ここだよ」と言われて近くで見れば、なんとなくわかるかな?という程度です。
ただし、抜糸するまでは顔に大きな絆創膏。
当時コンビニで働いていた私。
お客さんから何度も「どうしたの!?殴られたの!?」と聞かれました。
そのたびに「自転車で転んじゃいまして☆」で乗り切っていました。
顔の一部分だけきれいにケガする、ずいぶん器用な転び方です。
そんなこんなで皮膚生検は無事に終了。
あとは、検査結果を待つことになりました。
19歳で「全身性エリテマトーデス」と診断された
皮膚生検から2週間ほど。
検査結果を聞くために再び病院へ。
「ご家族も一緒に来てください」と言われていたので、母と2人で診察室に入りました。
そして先生から告げられた結果は…
「膠原病です。全身性エリテマトーデスですね」
病名を聞いても、私はよくわかっていなかった
「全身性エリテマトーデス」と言われても…
当時の私はまったくピンときません。
そもそも「膠原病」という言葉すらよくわかっておらず。
高山病みたいなもの……?そんなレベルでした。
(高山病もよくわかってなかったけど)
ところが、隣にいた母は「膠原病」という言葉を知っていたようで。
その場で泣き始めます。
ちょいちょいちょい。
当事者がまだポカーンとしてるから待って。
停止している私をよそに。
「今は治療しながら生活していける病気ですから」と、先生が母をなだめていました。
私は、完全に置いてきぼりです。
「一生付き合っていく病気」と説明された
その日にどんな説明を受けたのか…
20年以上経った今では細かいところまでは覚えていません。
- SLEは免疫の異常が関係する病気
- 原因がはっきりとはわかっていない
- 国の指定難病とされている
- これから一生付き合っていく
- 治療をしながら病気の状態をコントロールできる
そんな話をひとつずつ説明してもらったことは覚えています。
特に丁寧に説明されたのが、これから長く付き合っていく病気だということ。
きっと先生は、19歳の私にとって重い話になることも考えてくれていたんだと思います。
ただ、肝心の私はまだ実感がありません。
そこで先生に聞いたのが。
「とりあえず……顔のあざは治るんですか?」
いや、ほかに聞くことあるだろ。
これからどんな治療をするのかとか
薬はどうするのかとか
通院はどうなるのかとか
でも当時の私にとって、何年もずっと気になっていたのは顔の症状。
「薬で徐々に落ち着いていきますよ」と言われて、ひとまず安心したことを覚えています。
症状が軽いうちに診断できたのは幸いだった
当時の私は内臓に大きな症状が出ておらず。
比較的落ち着いた状態で診断でした。
最初に異変が出てから数年経っていたこともあり。
先生は大きな病変が無かったことは、本当に喜ばしいと。
SLEは完治ができないものの、抑えられるもの。
ただし放置すればその分どんどん悪化するもの。
もしあのとき母が提案してくれなかったら…
そう思うとぞっとします。
中学2年生の冬、「ものすごい冷え性なんだ」と思った手の症状から約5年。
ようやく「全身性エリテマトーデス」という病名にたどり着きました。
SLEの治療がスタート
SLEと診断されてから、すぐに治療が始まりました。
顔のあざ。
ときどき出る原因不明の高熱。
ほんとこれしかなかったので、全然病人の自覚がないまま治療スタートです。
プレドニン15mgから治療を開始
治療は、ステロイド薬の「プレドニン」を10mgからスタート。
……そう。
実はこのプレドニン、あの飲み薬です。
SLEの診断につながった皮膚科で初めて処方された、薬です。
そこから20年以上の付き合いになるとは、思いもしませんでした。
プレドニンの量はそのときの状態に合わせて変わってきましたが、現在も服用を続けています。
今となっては、私の生活を支えてくれている「生命線」ともいえる薬のひとつです。
治療を始めると、顔の症状も落ち着いていった
治療を始めた頃は、2週間に一度のペースで通院していました。
プレドニンを飲み始めてからは比較的早く状態が落ち着き。
少しずつ薬の量を減らしていくことに。
顔のあざも、ほとんどわからないくらいまで薄くなりました。
高熱を出すこともなくなり。
普段の生活だけを見ればSLEなんていう難病とは思えないくらい。
そのため当時の私は、薬こそきちんと飲んでいたものの…
「病気になった」という実感はほぼありませんでした。
普通に遊んで、普通に働いて、普通に生活する。
19歳の私にとって、SLEとの生活はそんなところから始まりました。
気が付けば、SLEとの付き合いも20年以上
気が付けばこの病気との付き合いは20年以上になりました。
「これから一生付き合っていく病気」
そう言われても、当時はあまり実感がありませんでした。
それが今では、病院へ行くことも、毎日薬を飲むことも、すっかり生活の一部です。
もちろん、この20年以上ずっと何事もなく過ごしてきたわけではありません。
新しい症状が出たり
治療が変わったり
別の病気が加わったり
SLEと付き合ってきたからこそ書ける話は、まだまだたくさんあります。
でも、それはまた別の記事で。
まずは今回、昔の記憶を引っ張り出しながら「私がSLEと診断されるまで」を振り返ってみました。
これからも当時のことや現在のことを、思い出したり変化があったりしたタイミングで、ぼちぼち書いていこうと思います。